第三章 天下の台所として
復元された菱形廻船「浪華丸」

大阪の開運物流の発展

江戸時代、大阪は水運の利便性の高さから商工業都市として発展しました。「天下の台所」と呼ばれ、全国から年貢米や特産物が集まり、各地へと運ばれたのです。
特に、都市建設中で物資が大幅に不足していた江戸には、油・紙・酒・醤油など多くの物が運ばれました。大阪-江戸間の輸送には、船の囲い下部分に菱形の格子をつけた菱垣廻船が活躍しました。

河村瑞賢と安治川

一方、現在の西区を流れていた淀川はたびたび氾濫を起こしていました。
土木家・河村瑞賢は、淀川の水をまっすぐ大阪湾へ導くため、貞享4(1687)年、安治川を開削。その後の海運の発展により、安治川の河口は市中へ向かう物資の積み替え地としてにぎわいます。
川沿いには船宿が設けられ、荷物の積み下ろしをする人や船頭が多く見られました。

合名会社 神宗

川沿いに建ちならぶ蔵屋敷

>蔵屋敷は、諸藩が年貢米や特産物を管理・販売した施設。日本の商業の中心である大阪にはたくさんの蔵屋敷が設けられましたが、中でも堂島、中之島付近には多数の蔵屋敷が建ち並んでいました。
明治5(1872)年の払い下げの時点で、蔵屋敷の数は135にも及び、諸藩が大阪を商業の要地と見ていたことがわかります。

世界初の先物取り引き

蔵屋敷が発行する米切手は堂島米市で売買されます。ここでは米そのものを受け渡すのではなく、帳簿上での先物取引が行われていました。これは現在の商品取引所法「現金決済取引」と同様のシステムで、世界初の先物取引と言われています。
堂島米市で立った相場は飛脚により各地に伝えられ、全国の米価や物価に大きな影響を与えました。


 
なにわの海の時空館
大阪の海の交流史に触れながら、人々が海や船、港にどのように関わってきたかを学べる海洋博物館。
ドーム中央の吹き抜けにある巨大な復元菱垣廻船「浪華丸」は、実際に乗り込んですみずみまで見ることができます。体験型の展示やバーチャルシアター、シミュレーターなど展示方法もユニーク。
(平成25年3月10日に閉館されました。)
  
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