第二章 秀吉の堀川づくり
大阪城

水運の要となった堀川

道頓掘、長堀、立売堀、阿波座堀、京町堀、江戸堀…大阪を訪れたことのある方には聞き覚えのある地名でしょう。
これらは豊臣秀吉が大阪城を築城する際に開削し、町づくりの軸とした堀川(運河)の名前です。堀川は、大阪城の城下町の建設が進むと同時に、低湿地帯の排水と地面のかさ上げ用土砂を確保するために掘られ、大阪の水運の要となりました。

大阪城を中心とする秀吉の都市構想

天下統一の拠点として豊臣秀吉が1583年から十数年にわたって築いた大阪城。この周辺に、築城に関わる人たちや、それを相手にする商人が集まり、自然と城下町が形成されました。
秀吉は、南は四天王寺から住吉、堺にいたる壮大な城下町建設を構想していたと言われています。
秀吉は計画的に城下町建設を進め、大阪城に向かう東西路を中心に、市中を碁盤の目状に整備して町割りを行いました。

下水溝の様子

下水溝を備える画期的な城下町

碁盤の目状に整然と区画された城下町には、道路に面した間口を持つ建物の裏側、つまり建物同士の背中合わせの部分に下水溝が敷設されました。これは建物の背を割っていたことから、背割下水またの名を太閣下水とも呼ばれました。
こうして市中の下水は背割下水に集まり、そのほとんどが東横堀川、西横掘川に排水されていました。

今日も生きる背割(太閤)下水

秀吉の時代に作られた背割下水を現在でも見ることができます。中央区農人橋にあるそれは、現存する最大の背割下水。幅・高さともに約2mある内部は、高さ7段、横2列にわたって石積みされています。
明治時代の下水道改良事業により改良が加えられ、時代を超えた今でも現役の下水道として立派に役割を果たしています。

見学のお問い合わせは
(一財)都市技術センター(06-4963-2056)まで


下水道科学館マップ
大阪の下水道の歴史を訪ねて
下水道科学館は、さまざまな展示を通して下水道の役割を知ることのできる参加体験型の施設。大阪城築城時の背割下水を移設して展示するほか、大阪市の下水道の歴史を紹介するコーナーもあります。

大阪市下水道科学館
  開館時間 9:30AM~5:00PM 入場無料
  月曜(月曜日が休日の場合、翌日)・年末年始休館
  大阪市此花区高見1-2-53
  TEL 06-6466-3170
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