第3話  駆け上がれ 夢の建築現場!

あらすじ

完成に向けて、着実に工事は進んでいく。しかし主人公は、
施工のイロハも知らないままだった……。そして彼は、
太閤はんの城づくりにかける意外な想いを知ることになる。

あらすじ

解説

昔の大坂城と今の大坂城、建築物としてはどう違う?

豊臣秀吉や徳川家康の時代にはもちろん、コンピュータなんてありません。図面はどのよう描いていたのでしょうか? また、その後、現在に至るまで、大坂城は建築物として、どのように変わってきたのでしょうか? 今回は、世界文化遺産である姫路城のことも含めて解説します。

■昔の棟梁は、材料に直接図面を引いた?

現代では、図面といえばデータ、少し前の時代なら紙、というのが常識ですが、昔は、板に描いていました。

豊臣秀吉や徳川家康の時代の図面は、武将が描いた城の構想をもとに、大工の棟梁が柱・梁の位置を符号で板に描いていきました。それを見ながら、木材を加工し、組み立てていたのです。また、城の図面は軍事機密ですので、工事が終わったら燃やしてしまったようです。図面が記憶に残っている大工さんたち を、口封じのために殺してしまった、などという話もあります。

今では、CAD(設計用コンピュータソフト)を使って図面を描くのがほとんどです。描いた図面はプリンターで紙に出力して、現場で確認することもできます。建物を立体的なCGでシミュレーションしたり、必要な材料の数量を算出することも可能です。また、図面は後々の修理や改造のために必要な資料ですので、工事終了後も紙情報やデータとして残されます。そのため、マンションや店舗の防犯、製造工場や研究所の最新技術情報の機密保持など、昔と同様、図面情報の流出防止が課題になってきています。

■三代目の大坂城は、世界最古のSRC造建築

1583年に豊臣秀吉によって建てられた初代の大坂城は、32年後の「大坂夏の陣」で消失しました。徳川秀忠が建てた二代目の大坂城も39年後の1665年に落雷で全焼しています。

昭和になって市民の寄付により復活した三代目の大坂城は、このような過去を踏まえ、防火性・耐震性を考慮して、当時としては最新式であったSRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)が採用されました。永久的なモニュメントとして地上55メートルの超高層建築であったことも、SRC造が採用された理由です。

その後、長い月日が流れ、三代目の大坂城も次第に老朽化が進みました。そこで、阪神淡路大震災を機に改修工事が計画され、再び幅広い市民の寄付が集められて、1995年~1997年に「平成の大改修」が行なわれました。戦国時代からの大坂城に対する思いが、三代目の大坂城を永く守り続ける力となり、今後も世界最古の現存するSRC造建築物として残り続けるでしょう。

■大規模な保存改修工事が進む姫路城天守閣

大坂城と同じく、豊臣秀吉の城として有名な姫路城は、現在、大天守修理工事が行われています。姫路城はその400年の歴史の中で、一度も戦にまみえることはありませんでした。太平洋戦争の姫路大空襲の際も、天守閣は被弾しながらも、それが不発だったという幸運に恵まれた、類い稀な城です。その結果、天守や櫓、門などの歴史的建築手法の保存状態が非常に良く、極めて貴重な文化遺産として日本初の世界文化遺産にも登録されています。

姫路城も大坂城と同様に市民に愛され、昭和に大修理が行われています。その際には、すべての建物を一度解体してから部材を修復し、再度組み立て直すという方法がとられました。木造であることは変わっていませんが、基礎部分は耐久性を高めるために、礎石に代わって鉄筋コンクリート製の強固な基礎構造物が岩盤上に直接構築されました。風雨になど自然環境にさらされている建築物を守るためには、修復して保存をする、という絶え間ない努力が必要なのです。

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